父からLINEが来た。
内容を私の言葉に変換すると、『元気ですか?』だ。
心配ベースだけど、父なりに(?)暗くならないように、重くならないように、文章のところどころに父らしい気遣いを感じる。
正直、LINEを見てすぐ、父の思い(心情)を思うと、本当に有難いような嬉しい思いも感じつつ、
返信するには気が重くて、文章が思い浮かばなかった。
だいぶ経って返信をしてから思った。
あぁ、すぐに返信できなかったのも、そりゃ当然なのかも、と。
以前の私だと、父からの連絡に、父の文面に合わせた返信をしていた、そんな気がする。(今思えば、だけど。)
どういうことかというと、
父の連絡は、基本的に“心配ベース”だ。
“心配ベース”から、お説教っぽい話であることもあった。
(でも、これもそう、今思えば、だけど)
そうすると、私は父から連絡を受けたその時に、特に心配ごとや困ったことを感じたり、考えてなくても、
『そうだ、そうだ。そう言えば‥』と、自分の中にある心配材料、父が知れば心配するであろう話を探してきて、
『うん、そうなの。これが心配なの。だから頑張らなきゃだよね。』と言った返事をする。
もう少し言い方を換えると、
父の心情(気持ち)を汲み取って、父の気持ちに合わせた返事を、私はしてきたんだろうと思う。
だから、私は親からの連絡や親との会話がしんどかったのだ、と思う。
(3度目だけど、今思えば、だけど。そして合ってるのかわかんないけど、ね。)
そう、ずっと染み付いてきてた、親がどう思ってるのか?どんな気持ちなのか?私にどんなことを言って欲しいのか?期待してるのか?と思う感じ方、捉え方。
そうやって生きてきてた。
そうやってしか、その『当時の私』は生きられなかった。
でも今、そんなやり取りの親側を思っても、自分側を思っても、(変な言い方だけど)嫌な気はしない。
あぁ、こんな風にやり取りしてたんだな、って。
これが父の私への愛情の表し方なのかも。
父の『こんなに心配している(のに)!』は、私もついこの間まで息子に、“愛しているから!”と言わんばかりにすごいテンションで言ってしまってた。
父からの言葉がずっと怖くて辛くて重かったのに、私もどこかでそれが“愛情なんだ”と感じて、同じように息子に言ってた。
そして、やっぱりその父からの言葉(声かけ)は、改めて“愛情なんだ”と思う。
いや、“愛情からくるもの”なんだと思う。
師匠のもとで心理を学び出して、今もまだ学びの日々であるけど、
“愛情”と“愛情からくるその人の愛情表現”は、少し違うのかも知れない、そう思う。
今の私は“心配ベース”で生きたくないから。
お父さん、ありがとう。
がんばっとります!
そう返信した。
“なんだ、そう心配することはないのか。”
父にそう、伝わった気がした。
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心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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