私は時々息子に、私のバイト先での悩みを聞いてもらう。
それは私が関わる児童の気持ちや対応の悩みで。
先日も聞いてもらっていたら、息子が「それ、自分もしてたの覚えてる」と話し出した。
話してくれたのは、小さい頃に家の柱や壁などの硬いところに頭をわざと何度もガンガンとぶつけたこと。しかもかなりはっきり覚えているようで、それは意図的だったと。
私がびっくりして息子に「わざとしてたの?!覚えてるの?」と聞くと、息子はさらに「お母さんが一番大事なのは僕だから(僕だと知ってるから)、お母さんが一番大事な僕を辛い目にあわせたら、お母さんが一番辛いことだってわかってたから。お母さんに怒っててせめたかったから」というようなことを話してくれた。
何とも言えない気持ちになった。
私自身、その時の光景をけっこうはっきりと思い出す。(その話になったから‥だけど)“あの家の、あの部屋のあの辺りでこんな風に‥”と。
ただ、私の記憶ではその時、息子を怒ったりとか何もしてないタイミングだったと思っていて。だからこそ、その当時小1か2の息子に「何してるの?やめて‥」というようなことを言った気がするんだけど。
一方で、私がまだかなり心配性で過干渉だったその頃。私が気がついていなかっただけで、ストレスを溜めていたのかも知れない‥と改めて思ったり。
不謹慎なことに。
実は私はこの話を聞きながら、少しホッともしていた。
それは息子が「お母さんが一番大事なのは僕だから」と言ってくれたこと。だから“お母さんが一番大事な僕”を辛い目に‥と。
息子には私が、息子が本当に大事なのだと、一番大事に思っていると思ってくれていて、伝わっているんだと思えたら、それが本当に本当に嬉しかったのだ。
私自身は、親が私を大事に思ってくれているのだと頭で思う。が、そう“感じているか”と言えば、正直今はまだそうではない。
どんな人間関係においてもそうなんだと学んだ今なら、わかる気がするけど、人はその人なりの愛し方があって、それを理解し合えなければ、“愛してる” も“愛されてる” も伝わり難い。
“愛してるなら〇〇するよね”の定義が違うから。
特に子ども時代、子どもにとって望んでいることが与えられないこと(子どもの言いなりになるのがいいと言ってるわけでない)は、子どもは愛されてるとか大事にされてるとか、受け取れないことがほぼらしい。
違う言い方をすれば、親がただ一方的に親のやりたい愛し方で接しても、その親の愛情は子どもに理解されづらく、そんな愛情を受けた子どもは“愛されてない”と感じて育ちやすいとか。
で、私がそれだと感じてて。親なりに愛してくれた、親のやりたい愛し方で愛してくれたんだと思うけど、“愛されたなあ”とは‥。
そこがなんだか苦しいんだ。
自分が小さい頃にしたかどうか、実際知らないけど、私は『親にとって大事な私を痛めつけて、そうすることで親に辛い思いを‥』なんて発想、全く思い浮かばないもんなぁ。
とは言え。
実際、息子が『おれ、愛されたなぁ。自分が望んだように、本当に優しく愛してもらったなぁ。』と思っているんだろうかと考えると、即座にNOだろうとも思うんだ。私は、息子が小さかった時に一番して欲しかった『一緒に遊ぶ』が出来なかったから。
今でも、時間が戻るならもう一度子育てをやり直したい、そんな気持ちがあるものの、あの頃に戻って、私は今度こそ息子と遊べるかと言うと、(今よりマシにしたいけど)正直自信がないくらい。私には『遊ぶ』ということが難しいんだな。
そしてそれは、息子をいたく傷つけだろうし、とんでもなく寂しかったろうと思うんだ。
それでもこんな私からでも自分は愛されてるんだと受け取ってくれてる息子に、感謝しかない。
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心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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