《私の感情があるところに私はいる》のだなぁと感じたこと

こんばんは、カウンセラーの斎藤朝海(さいとうあさみ)です。

根本裕幸さんのお弟子2期生です。

かなり久しぶりのblogになりました。昨日今日と、ふと思ったことです。

親が私を愛してくれていたことなど、誰に言われなくても私はわかっていて。(←何となく、それを考えると責められている気がしてしまう私)

愛されてこなかった、(大きくなってからの気づきとして)私が愛して欲しいように愛されてこなかった。親に受け入れてもらったとか、認めてもらったとか感じられずに生きてきた。それがとても辛かった。

でもそれが、親が私を愛していなかったわけではないと、頭でわかっている。

だからこそ、罪悪感を抱く。

親に感謝できない私。

親不孝な私。

育ててもらって、いろいろしてもらって育ってきたのに、こんな気持ちの私。

人でなしな私。

ーー愛されてたと感じなかったなら、本当にそうなのかどうか、振り返ってみればいいーー

愛されてたであろう証拠、記憶は思い浮かぶ。

物証のように。

でもそこに感情は伴わない。

その物証がまた、『こんなにしてもらってたのに、私はまだ愛されてなかっただの、辛かっただのというのか!?』と私を責める。

先日、今学んでいるキャリアコンサルタントの講座の中で、過去を振り返るような場面があった。

久しぶりにあの頃の記憶に触れて、言葉にしてみた。

今もわからない。

あれがひどいことをされていたのか、“あんなもん”だったのか。

そしてふと思い出した。

ある場面、私は言葉を飲み込んでた。

それは私の親への思い。

もしかして、あれは親への愛だったかも。

私は親を愛していたのかもしれない。

少なくとも、私は親を傷付けたくなかった。

その思いが、確かにあの時あったのだと思う。

私は親を思っていたかもしれない。

そう思えたら、少し許される気がした。

何か少し、“緩む”ような気がした。

『私は大切な存在です』

このアファメーションが受け入れられず、言葉だけが上滑りしてた理由も、少しわかるような気がした。

私の感情は、あの日のあの場所に一部置いてきてしまっていたのかも知れない。

それが少し動き出したのかな。

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投稿者プロフィール

心理カウンセラー 斎藤朝海
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