自分の意思で進んで行こう、生きていこうと意識して、50になる今、自分のこれまでを振り返って。
やっと“そう思っていた”こととして、弔いのような気持ちで記して進みたい。
私は私の誕生日が苦手だった。
おめでとうと言われるのも、どこか困る感じがして、何がめでたいんだろうと自分の中の思いと相入れず、せっかく言ってくれる人に申し訳ない気がして、居心地が悪かった。
ケーキは好きだけど、誕生日ケーキを前にして、ハッピーバースデーの歌を歌われると居た堪れない気持ちになった。
唯一、息子がそこに居れば、息子に言われることは、“あぁ、おかげで私は息子に出逢えたのだな”と思え、その時だけは別だったけど。
話が飛ぶが、
昨年のこと。私は受けているコンサルのワークをしていて、どんな自分になりたいか?【怒りや許せない気持ちを手放して、気持ちがスッキリした私】という意図立てをして過ごしていた。
しばらくその意図を意識しつつ過ごしていたら、どうしても行き着く先に湧き上がってくる悲しみのような寂しさのような、そんなものを感じるようになってきていた。
そんなある日、実家の親から連絡が入る。
その日から数日間、私の感情はジェットコースターのように揺れまくり、不安定で嫌な気分になった。
イライラ、モヤモヤして落ち着かない、、けど嫌な気分て‥何?中身は?何を感じてるんだろう?(表面上は「なんで親はこんなことを言ってくるんだ?だからまた嫌な気分になるんだ!」)
そう、それは。
私はなんて不甲斐ない娘なんだ。親不孝で優しさのかけらどころか、人でなしだ、と。
私は仕事やコロナを言い訳にして5年以上(もっとかな)帰省せず、私から連絡もせず、贈り物の一つもなく過ごしてきた。
ただそれも今ここにきての現象であるだけで、私は家を出た二十歳の時から、いや本当は実家にいる時でさえ、親に感謝を感じられたことがなかった。
親が苦手で、近づきたくなく、話したくなく、接したくなかった。
私が心のことを学びたいと思った大きな理由の一つはその「親に有難うを思えない。何の感謝も感じられない。私は親のお葬式で泣けない。いろいろしてもらったことがあるはずなのに、なんでこんな私なんだ!」
そう思ったから。
それがなぜかすごく苦しかったから。
私の親はとにかく厳しかった。
(今思えば)気持ちに寄り添ってくれる、受け入れてくれるということがなかった。
少なくとも私にはそう感じられた。
とにかく理詰めで常に責め立てられ、暴言暴力もあり、親の不機嫌に晒されて、生きた心地もせず息をひそめて生きていた。
それでも(私にとって過酷な状況下ではあったけれど)食べるものが与えられ、着るものも、寝る場所もあり、お金のかかる音楽をさせてもらえる環境に私はいた。
厳しい親なんてどこにでもいる。私の環境が恵まれてないだなんて思えない。
そう思えば尚更に苦しかった。
周りの人は私に、とても羨ましい家庭だね、ご両親だねと言った。そして私の周りには親御さんと仲の良さそうな友人が多かったのも、私の罪悪感に拍車をかけたのかもしれない。
普段から私は自分を尊重されるように感じる場面が皆無であっただけでなく、むしろ踏みにじられたように感じたこともあり、
私は気づくといつからか、寝る前に『もう二度と目覚めませんように』と願いながら寝ていた。
目が覚めたところでどうせこの(私の)世界は終わってるから。
****
その日は私の誕生日だった
そもそも父はいつも私に怒っていた
いつも私に苛立っていたし
その怒りや苛立ちは いつ爆発するか分からない
そしてほぼ毎日爆発する
とてもとても恐ろしいものだった
今ならそれは、父が父自身に苛立っていたんだろうと考える事ができるけど
とにかくその日は 私の誕生日だった
私は毎晩、寝る前に 神様どうか二度と目覚めませんように
そう強く強く胸に刻むように祈りながら寝ていたせいか
朝、起きられず 気付くと夕方まで寝ていることもざらにあった
その日も 私はお昼頃もまだ起きずにいたのだったか
すごい衝撃で目が覚めた
目を開けると 飛び込んできたのは 恐ろしい形相の父の顔
そう、父が怒りを爆発させて
なかなか起きない私の
寝ている私の 顔を殴ったのだ
一発ではなかった気がする
とにかく父は私を殴った後、
「誕生日までこんな時間まで寝てるのか!」
そう怒鳴って部屋を出て行った
いつものことではあったけど
その日も
その日は私の誕生日だったけど
私は家の中を歩くことも ご飯を食べるお箸の上げ下げすら
息をひそめ 息を殺し 気配を消すように過ごした
****
二十歳を迎え 家も出て
私の誕生日には 母が電話や手紙をくれた
プレゼントも送ってくれたりした
電話の時には 父も母も 私におめでとうと言った
そして
また一年頑張りなさい
と言う
また一年、今年も頑張りなさい と
毎年、私に頑張るように言う
頑張って努力して幸せになりなさい と
しっかり頑張りなさいと
それを何度も言うほど
おめでとうと言ってるかのように
私にとって誕生日は
また改めて頑張ることを伝えられる日
また一から心新たに頑張ることを刻む日
めでたさも 喜びも
必要のない日
また 誕生日が近づいている
歳は取っていっていい
誕生日はいらない
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去年、書き出した思い。
気づくと私は本当に誕生日が嫌で、自分の生が肯定できず、つまりそれは日々の暮らし、自分自身の命への向き合い方、扱い方がそんな風になっていたんだと思う。
話をここで冒頭に戻すが、
去年、私は自分が生きやすくなるように【怒りや許せない気持ちを手放して、気持ちがスッキリした私】と意図立てしたが、
そもそも私は私に、親に対して(感謝の念もなく、帰省もせず、連絡もせず、ずっと会おうとせずに)なんて酷いことをしている人間なんだ!いや、人でなしなんだ!私はこんなにも酷い人間なんだ!ーーーという、ある意味自分を罪人だと思って生きてきてたんだ、と思ったわけだ。
自分で自分を罪人だと思っていたなら、そんな罪深い人間が幸せになどなっていいわけがなく、日々に喜びなど感じることなど許されるものではなかったよね、と。
今、そんな風に思う。
これまでの私なりの理由や思いがあって、
親への思い(私は人でなしの鬼のような娘だ)であり、自分への思い(誕生日が嫌=私は生きてて何になるんだろう)があって。
今、私は、進んで自分の誕生日を祝う気持ちや嬉しいとまでは感じないけれど、
少なくとも自分の《生》をこんな風に感じて生きている今の自分を感じて悲しくは感じている。
そして、
「私、ずっと辛かったよね、苦しかったよね」と、そう自分に思う。
いろいろあって今、それが“こんな私”だという思いにつながって、私の《生》を大切に扱わないということになっているんだな、と。
もうその波に乗っては進まない。
その次の、もう少し先へ行く波に乗り継ぐ。
とりあえず2025年。
キリよく50を迎えるにあたって。
今の思いを少しでも記して、自分にYellを贈る。
投稿者プロフィール
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心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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