前回からの続き‥
自分が普段使っている『お金』について、あまりにも無頓着だった私。
そのとっ散らかった『お金』を整え始めて感じてきたこと。
私にとってお金は恐ろしく大きく、なんだか暗くて黒くて私を飲み込みそうなモヤモヤとしたもの、そんなイメージ。
そんな大きなもの、そんな怖いものを、私が扱えるわけがない。
自分の中に、お金に対してそんな感覚があると感じた私。
そう、私なんかには大き過ぎて怖過ぎて扱えない。
そう。
そうなのよ、私、小さいのよ。ちっぽけなの。
ふと思いだす。これまでも、専業主婦だ(った)から‥、パートだから‥、ちょっとしか稼いでないから‥。そんなことを思ってきた。
でもそれよりも、もっと大元にあった、自分自身への『ちっぽけな私』という感覚やジャッジは、もっと前からのもののようにも思った。
そう、小さい小さい私。
ちっぽけな私。
力のない私。
そんな私なのに。
私(のマインド)は子供なのに、だからお金なんか使っちゃダメなのに。。
そんな気持ちでお金を持ってたし、使ってきた気がする。
こんな(マインドが)お子ちゃまな私なのに。
お子ちゃまが使うには大き過ぎる金額だから。
怖くなって、使ってるお金に目をつぶってきた。
目をつぶりながらお金を使ってきたんだ、な。
そんな気がする。
小さい小さい私が背伸びして、頭より高い台に手を伸ばし、そこにお金を置いてお支払いする感じ。

(下手な絵だけど、伝わるといいな。。(・・;)
今思えば、こんなお子ちゃまな私が『お金さん』を気軽に、自由に使っていいわけない、そう思うのも当然だったように思う。
日々の買い物でも、ちょっとした贅沢も、私には分不相応だし、“お父さんやお母さんのお金を使って身の丈に合わない物を買いに来ちゃってる”ような感じすらあった。
これまでに、いくつかの心理の講座やセミナー、購入した本なども含めて、いろいろまとまった額を払ってきたけれど、
その時の感覚も、私は頭に麻酔をかけたように「「これは必要だから!これは必要だから!」」と、『お金さん』を使うことに何の感情も感じないように、どこか平気なフリをしてきてた。
多分、その時感覚に麻酔をかけていなければ、私はそんな『お金さん』を使えなかったろうと思う。私なんかが使える金額でないし、そもそも私の『お金さん』でもないと認識していたから。
変な表現だけれど、私の中でその『お金さん』のやり取りは、私の触れられない異空間で行われていた感じだった。私の意思で、私の目の前で、私の手を使っているのに、どこか他人事で現実味のない感じだったなと、今思い返して思う。
何とも情けない話だと思いつつ、そんな感覚を思い出して感じていたら、
そんな風に『お金さん』を使ってきた自分に、被さってくるイメージがあった。
続く‥
#50からの夢の見方、育て方
投稿者プロフィール

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心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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