コンサル(受)の記憶録

  

  

今日、インナーチャイルドに会いに行った。

会いに行けて良かった。

  

そのコンサルを受けて感じたこと、その後、自分なりにまたその時を思い出していた時に感じたこと。

  

  

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過去から離れて有ろうとしてるからだよ

繋がりを忘れないで

  

ジャッジはいらない

あなたは私、私はあなたなんだよ

  

私を忘れ、切ろうとして繋がってないから

心細いんだと思うよ

  

私がいる

私を置いてはあなたは行けない

  

繋がっているよ

その心許なさ、寂しさは、

『私』だよ

  

#私と離れ離れだった寂しさについて描いて
#私と離れ離れだった寂しさについて描いて

  

  

山形さんが表現、言語化してくださったことで、いろんなことを感じたなぁと思う。

  

《自分がコントロールしたかった父》

から、一つは、

“父は娘(私)が自立していくのが怖かったのかも”

“娘に自立されたら、自分(父)がコントロールできないから”

⇒自分の自立を妨げていたルーツに触れた気がした。(もちろん、父の本当の気持ちはわからないけど、私はそう感じていた、ということ)

  

次に感じたのは、

《自分がコントロールしたかった父》

⇒父は娘をコントロールしたかった

と思いたどることで、

それまでは、“私は〇〇されてた” “コントロールされてた” “私は苦しかった”

という私目線の捉え方で、受け身の感覚だったのが、

“父が何をしたかったのか?”

“父はコントロールしたかったんだ”

という父目線で捉えることで、“〇〇されてる”という雁字搦(がんじがら)めの感覚から抜けて、状況として受け取れた気がした。これはすごく大きな抜ける感覚だと感じた。

  

そして更に思ったのは、

《自分がコントロールしたかった父》

というのは、正にその様に感じていたけど、やはりなかなかそう言えない。自分の思いをけっこう吐き出しても、真正面からグサリと刺す言葉を避けるような感覚はあった気がする。

まさにその様に感じていたのに、いやいや自分も悪かったしとか、そこまでじゃないとか。そしてやっぱり、〇〇されてるという受け身で感じて話していると出にくい言葉だった、自分では言いたくて、でも言えない言葉だった気がする。

  

感じる感覚(あくまでも“そう感じてた”)を言葉にする、自覚できる、ってやっぱり体感覚として大きいなとすごく感じた。

  

  

とは言え、悩み苦しみの原因や、起こったことの意味をただ追い求めてモヤモヤしているのは、本当に求めていることなのか?(楽しんでるならいいだろうけど)という話もした。

  

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なぜ?どうして?を考えるのは、

弛(ゆる)み、丸く自分を受け止め、受け入れていくためでありたい

  

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インナーチャイルドのセッションを受けていて他にも、気づきや感じたこと。。

  

驚いたのは、インナーチャイルドに会いに行く“私”が、以前と比べて成長した“私”になっていたこと。(これまでに何度かインナーチャイルドに会いに行っていて)

  

また、私にとって大きな気づきは、インナーチャイルドが望むようにすることを見守り、また一緒に感じることで、私が長年、息子に一番申し訳なく思ってきつつも出来なかった、一緒に『遊べない』理由が、体感覚としてわかった気がしたこと。

  

そして、これまで何度かインナーチャイルドセッションを受け、自分としてはインナーチャイルドにそれなりに気持ちを向けてきたつもりでいたけど、そうではなかったな‥と。

終わってからそう感じた。

  

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私自身があなた(私)を他人事のように目も心も向けていなかったね

  

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少しずつ、歩いていく

  

  

おやすみなさい

  

  

投稿者プロフィール

心理カウンセラー 斎藤朝海
心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
よろしくお願いします。
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