《自分はどういう人なのか。
もっと言えば
自分はどういう「生き物」なのか。
自分の性質、志向、生態。
これが正しくわかって
そのまま受け入れることが
できたら
あとは、その自分が一番
生きやすい環境に身を置いて
その生き物として
自然な暮らし方をしたら
人生の問題はだいたいの場合
解決するんじゃないか、
とさえ思う。》
大塚あやこさんのblogの冒頭文。
これがすごく心に刺さる。
《自分はどういう「生き物」なのか
がよくわかってないか
たぶん、全く見当違いなのだ。》
今日の話は、最近私が感じ、気づいた、そのさわりのところ。
私は今、コンサルを受けている中で、自分の本質を見ていく作業をしている。
そのことを意識して生活していてふと、私は“伝えたい”ということへの思いが強いこと、強すぎることが気になり始めてた。
何か動き始めたのは、ある講座を受けている時。
気付きのシェアの場で私は言った。
「私は、私が私の思いを伝えるのは、それが誠実なんだと思っていた。自分が思っていることをつぶさに余すことなく伝えなくては、不誠実で嘘をついている気すらしていた。そんな自分の思いに気づいた。」
「でもその“私の思いを伝えなきゃ!”が今までどれほど育児の場で子どもを傷つけてきたか感じてきていたし、それは私自身が経験してきたことでもあった。」
「私はこれまで、自分の『誠実』にこだわり、これが普通で正しいのだと、どれほど当たり前としてまかり通し、振り回して人に傷つけてきたのか‥」と。
自分の無神経さにも、自分が正義を振りかざしていた感じも、それを誠実だとなんなら誇っているような気でいたことも、、。
私はこの時点ですでに、“大きなことに気づいてしまったな。”“でも大切なことに気づけたんだよな。”と、落ち込みつつ、これまで自分の中に抱えていた矛盾に納得できて、どこかホッともしていた。
でもまだ、まだ続きがあった。。
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心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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