「ママ、テレビを観てて。」

 

 

《生きづらい人によくある家族パターンと『たいへん教』》

https://youtu.be/Z436jqU5u-w

  

この動画を観ていて、すごく蘇ってきた記憶。

  

申し訳なくて、

申し訳なくて、、

ここに書き記しておきたい。

  

  

もうここ何年か言われなくなったけど、それまで本当に何度となく息子に言われたこと。

 

その時は、本当に何を言ってるのか、なぜ言ってるのか?全くその意図がわからなかった。

 

「ママ、テレビを観ていて。」

 

ご飯を食べ終わったり、私が何かしていてちょっとした間などのタイミングで、だったかと思うのだけど、息子はそう、いつも私に同じ言葉を言ってきた。

 

私はあまりテレビを観ないし、あまり観ようと思わなかったり、テレビを観ているのは落ち着かないのだ。

 

で、はじめの頃は、息子自身が観るわけでも、観たいわけでもないのに、なぜ私に観るように言うのかがわからなくて、「え?いい、特に観たくないから‥」と、そのまま思ったことを言って返していた。

 

それでも言ってくる息子の思いが気になって、私は息子に「テレビを観ていて(ゆっくりしていて)いいよ、って言ってくれてるの?」「それならありがとう。でも特に観たくはないから‥」と。

 

それでもそれでも息子は言ってきた。

 

今日、その息子の言ってきた思いや心境が、少しだけだけど、わかったような、伝わってきたような気がした。それは上記のYouTubeを観てだけど。

 

私が返答した言葉自体は、ある程度合ってたんだ、きっと。

 

「ママ、もう少しゆっくりしてていいよ」と。

 

息子はそう思って、そう言ってくれてたんだと思う。 

 

でも、それをそんな風にまでして言ってきたのはなぜか?

 

そう、きっと。

 

私が毎日楽しそうじゃないから。

私があまり笑わないから。

私がずっと大変そうにしてるから。

私がずっと我慢しているように感じたから。

私が日々楽しんでいるように見えなかったから。

私は全然遊べない人だから。

私が全然ゆるんでいるように見えなかったから。

 

どこまで合ってるのかわからないし、息子の表現とは違うかも知れないけど、息子はそんな風に私から感じていたんじゃないかな、と。

 

そしてそうだとしたら、子供として、自分の親がそんな風に楽しくなさそうに毎日を生き、我慢して苦しそうにしていると見えていたなら、そう感じていたなら。 

 

それはどんなにか苦しい事だったろう。

 

その言葉が、その思いが、

 

「ママ、テレビを観ていて。」だったのかな。 

 

子どもの眼差しの深さ、優しさ、鋭さ、敏感さ、傷つきやすさ、そして深い愛情。 

 

あらためて気付かされて、感じさせられて。

申し訳なく思う。

でもごめんじゃなくて、

有難う。

本当に有難う。

本当に有難う。

  

今頃になって気付いたけど、

本当にありがとう。

 

 

申し訳なくて。

申し訳なくて、

そして今から私ができることは、なんだろうか?

投稿者プロフィール

心理カウンセラー 斎藤朝海
心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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