《生きづらい人によくある家族パターンと『たいへん教』》
この動画を観ていて、すごく蘇ってきた記憶。
申し訳なくて、
申し訳なくて、、
ここに書き記しておきたい。
もうここ何年か言われなくなったけど、それまで本当に何度となく息子に言われたこと。
その時は、本当に何を言ってるのか、なぜ言ってるのか?全くその意図がわからなかった。
「ママ、テレビを観ていて。」
ご飯を食べ終わったり、私が何かしていてちょっとした間などのタイミングで、だったかと思うのだけど、息子はそう、いつも私に同じ言葉を言ってきた。
私はあまりテレビを観ないし、あまり観ようと思わなかったり、テレビを観ているのは落ち着かないのだ。
で、はじめの頃は、息子自身が観るわけでも、観たいわけでもないのに、なぜ私に観るように言うのかがわからなくて、「え?いい、特に観たくないから‥」と、そのまま思ったことを言って返していた。
それでも言ってくる息子の思いが気になって、私は息子に「テレビを観ていて(ゆっくりしていて)いいよ、って言ってくれてるの?」「それならありがとう。でも特に観たくはないから‥」と。
それでもそれでも息子は言ってきた。
今日、その息子の言ってきた思いや心境が、少しだけだけど、わかったような、伝わってきたような気がした。それは上記のYouTubeを観てだけど。
私が返答した言葉自体は、ある程度合ってたんだ、きっと。
「ママ、もう少しゆっくりしてていいよ」と。
息子はそう思って、そう言ってくれてたんだと思う。
でも、それをそんな風にまでして言ってきたのはなぜか?
そう、きっと。
私が毎日楽しそうじゃないから。
私があまり笑わないから。
私がずっと大変そうにしてるから。
私がずっと我慢しているように感じたから。
私が日々楽しんでいるように見えなかったから。
私は全然遊べない人だから。
私が全然ゆるんでいるように見えなかったから。
どこまで合ってるのかわからないし、息子の表現とは違うかも知れないけど、息子はそんな風に私から感じていたんじゃないかな、と。
そしてそうだとしたら、子供として、自分の親がそんな風に楽しくなさそうに毎日を生き、我慢して苦しそうにしていると見えていたなら、そう感じていたなら。
それはどんなにか苦しい事だったろう。
その言葉が、その思いが、
「ママ、テレビを観ていて。」だったのかな。
子どもの眼差しの深さ、優しさ、鋭さ、敏感さ、傷つきやすさ、そして深い愛情。
あらためて気付かされて、感じさせられて。
申し訳なく思う。
でもごめんじゃなくて、
有難う。
本当に有難う。
本当に有難う。
今頃になって気付いたけど、
本当にありがとう。
申し訳なくて。
申し訳なくて、
そして今から私ができることは、なんだろうか?
投稿者プロフィール
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心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
よろしくお願いします。
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