blogを書こう、書こう、と思って書けないこと

書けないなら書かなきゃいいじゃん、かも知れないのだけど、それはそれで書きたいのだ。

“書きたい”だけじゃなくて、“書かなきゃ”という思いもあったりする。

それは“心理カウンセラーとして発信しなくちゃ”“やっていきたいなら知ってもらわなくちゃ”という思いから。

人の事は、(無責任にも)良く見えるものなのだと思う。

そうは思えど、周りを見渡してみて、他の人のように、私にも何か言いたいことがあるのか?自分が何を思ってるのか、どうしたいのかがあるのか?これを伝えたい!という何かがあるのか?・・・・わからない・・・・。

書いていて、ふと思ったこと、思い出したことがある。

私は少し前まで、音楽をしている友人・知人がめちゃくちゃ羨ましかった。

もう少し正確にいうと、演奏家として、いろんなところで演奏をし、CDを出したりして活動・活躍している、自分が知っているリアルで何かの繋がりがある人に嫉妬していた。恥ずかしい感情だなと思うけど、妬ましくさえ感じていた。

でもある日考えてみた。

友人の一人に、今や奇跡のピアニストと言われているらしいピアノを弾く人がいるのだけど、もし何かのチャンスがあって、私がその人の代わりに『どうぞ朝海さん、あなたにこのホールで是非弾いて欲しいんです!』

そんな生活がやってくるのだとしたら、私、嬉しい??したい??そうなりたい??(いや、そんな技術ないですが)って自問した時に、“あれ?いや、それは求めてないな”とはっきりそう思った。

とは言え、私はやっぱりピアノを弾くのが好きで、ピアノは弾いていたいのだ。ピアノの先生として教えたいのでもない(重ねて言うが、私はピアノの先生の技術もないです)。

ただ弾くのが好きだ。

「それって、練習して何になるの?」「習いに行って何になるの?(お金にもならないのに、むしろお金を払って)」そう元夫に言われたことが、未だに引っかかっているのは、私自身もそんな風に思っているからだろう。

私が今、blogを書きたいと思ってるのも、そんな感じなのだろうか?

何の主張もなく、ただ思ったことを書きたい気持ちはあるけど、【内容のあるもの】【心理カウンセラーとして】【日記ではなく何か発信を】。そんなまず一つの形として文章にしなきゃという思いは、私にカッコ付けさせてるのだろうか?

だから書けない、書けない、と言ってるのだろうか?

“自分ではない何者か”になろうとしてたのかな。

そう言えば私、amebloでは途切れ途切れながら、233記事書いてたようだ。

ここから改めて、“こんなblogを書こう”と思って書く前に、駄文でみっともなくても仕方ない、思ったことをただ書いてみることをしていこうか。

この、『ただ書いて』みることが、ついついカッコ付けよう、なんだか良さそうな形にしようとしてしまって、私には難しいんだけど。

師匠も仰ってた、「始めはダメダメでいい。その後の伸び代、ギャップがいいんだ。」と。

amebloはamebloで、世の中に発信するということの大きな第一歩を踏み出させてもらった。私なりに頑張ってきた。

今からまた、もう少し力を抜いて、思ったこと、感じたこと、を、無理にまとめようとしないで書いてみよう。

その時にはタイトルと冒頭を大切にしよう。。

あぁ、本当は、せっかく新しいblogを始めるのだから、書く内容はビシッと理路整然と、心理カウンセラーらしいことを多々書きたいなと思ってたのに。

私の頭の中は、あれこれそれこれ考え過ぎて、気持ち丸ごと迷子状態だ。

ま、迷子ついでに、迷った先で感じてる、また考えることについて書いていければいいな。

投稿者プロフィール

心理カウンセラー 斎藤朝海
心理カウンセラー 斎藤朝海
心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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