お金の話 その後 の続き

 

 

昨日の続きから…

 

本屋さんに行った初日、投資どころか、普段使っているお金、身近にあるお金、なのに私はお金について何もわかってないし、考えようともしていなかったなと。

自分がどれほど無頓着にお金を使ってきたんだろうという思いが湧いてきたのだった。

 

 

 

そこからそう日も経たずに2回目の本屋さん。

 

 

前回よりはもう少し粘り強く、一冊の本に時間をかけて

«私が買うのはこの本か?»

«いや、これじゃなくてもっと初歩的な感じのこっちか?»

«本当にこれを読めそうか?もう少し詳しく説明が載ってる方が?»

などなど、前回と同様に結構時間をかけて考えて、でもまだ今日買わなくていいか、もう一度くらいここに来てから決めて買おう、そう思ってお店を後にした。

 

 

でね、

この時の帰り道に、私はどこかもう、「あ~無理だな、私」とはっきりと自分の中からそんな気持ちが湧いてきてるのを感じてた気がするんだな。

無理っていうのは、今の私が投資をするってことが、ね。

 

 

たった2日だけだけど、本屋さんで見た本に書かれたお金のこと、私、全然わからなかったし知らなかった。

もちろん、何でも完璧であろうとする必要はないけど、わかってなさ過ぎる以上の問題だと思ったのが、

私はこれまで全然お金を大切に扱ってきてなかったし、杜撰(ずさん)な管理、適当な使い方、そしてそれを見ようともしてきてなかった。

見ないように、気付かないように、してきた私が、その「お金」を使って投資をしようというのが、どうにもおかしいことのように思えてきたんだな。

 

 

投資の前に出来ることがある。

 

そんな風に感じた。

 

 

 

本屋さんへ行った初日、そして2日目の後、私は家で過ごしている中で、自分の目の前のメモの山や本の山、たくさんのペンたちや文房具、ぬいぐるみやストレッチの用具、棚の中も上も、机の上も横も奥も、私の目にはたくさんの物が映る。

 

 

別にミニマリストを目指すような気持ちが要るわけではないと思ってるけど、

私の目に映るこの全ての物たちも、(そう、今これを書いているパソコンもだ)もともとはお金だった、お金を払い、お金と交換して私のところへやってきてくれたものだ。

 

 

これらは全部、ある意味お金だ。

 

 

私の家にはたくさんのお金がある。お金が形を変えた物が。

私は一体どれくらいこれらを大切にしているだろうか?

 

 

必要に応じて捨てることも含めて、私はどれほど『物』になった(元)お金たちに無頓着に過ごしてきただろうか?

 

 

そんな問いが自分の中に浮かんできて、

必要だと思って買ったもの、私の元へやってきてくれた物、私の生活や人生を豊かにしてくれている全ての物たちへ、ありがとうと思いつつ、大切に扱い、一緒に幸せに過ごしたい。

そんな思いが湧いてきた。

 

 

そしてその私の気持ちの中には、「投資をする」というのは今ではないんだという思いがはっきりあるのを感じた。

 

 

ちなみに、前出の尊敬している方に後日話すと、「自分で理解して自分で選べること、納得感を持ってコンスタントに前へ進めるのがいいなと個人的に思ってます」と、そう返してくださった。

投資をするのに本を選ぶ選び方も教えてはいただいていて、いづれそういうところに辿り着くといいなあと思っているところ。

 

 

 

ということで。

お金の話、また何か変化や進展があればこうして書きたいかな。

ひとまずここまで。

 

 

 

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

投稿者プロフィール

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心理カウンセラー 斎藤朝海
心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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