何が“私”?

 

 

私はこれまで、自分が思ってきた『誠実さ』にこだわって人を傷つけていたし、横暴ですごくゆがんでいたと気づいた。

 

そして後日、コンサルの日に。

その私の履き違えた『誠実さ』に気づいたことを話した。

 

ら。

 

話し出して、そのうち何となく、何か変な感じがしてきた。

 

私:「わかってもらわなきゃ!わかるようにちゃんと伝えなきゃ!」って‥。

 

ーーーーわかってもらわなきゃ?

 

ーーーー・・・・・・

 

ーーーーわかって 欲しい  ?

 

 

?!?!?!

 

え!?!?

 

コンサル:「わかってもらえるように伝えなきゃ“不誠実”に思うんだよね?」

 

そこから、私の意識は父母へ。

 

父母に対して、本音で話せない私は、嘘つきで不誠実で人でなし、人としてありえない存在‥そう思っていた。

 

そう、本音で話さない私は、嘘つきで不誠実な人。

でも、そう思いたくないから、受け入れ難い‥から‥

 

そんな思いから『誠実で人間らしい(人としてありえないの反対)自分』=考えてることや感じてること、思っていること全て伝えようとする私、をしてきた。。

 

そして、それは父母へできない代替としてであり、さらには、親に求めてももらえなかった『伝えた先に受け取り、わかってもらえる』を求める思いもあった。。

 

ということなのかも‥と。

 

 

改めて振り返って思う、私はとにかくよく人に話してきた。

伝えようとし、わかってもらおうとし、わかりやすくしようとし、わかったかどうか伝わったかどうかにすごく気を配った。

なんだかずっと話してきた、伝えようと生きてきた気すらしてる。

 

そんな私の思いの根本が、そんなことだったなんて‥

 

私がしてきたことはなんなんだ‥

 

 

続く

投稿者プロフィール

心理カウンセラー 斎藤朝海
心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
よろしくお願いします。
詳しいプロフィールはこちら。