自分にご褒美をあげる時、
頑張ったぶん“だけ”あげようとしていた、
そんな感覚があったなぁ、
ってふと思った。
頑張ったぶん“以上”のご褒美をあげてしまわないように、自分にちゃんとご褒美をあげよ♡とか言いながら(思いながら)、
めっちゃご褒美の“加減”に神経質になっていた気がする。
だって、頑張ったって言ったって、所詮大したことない、“これくらい”のことだから。
ま、でも。頑張ったんだから、ご褒美はあげた方がいいよね!なんならそれが正しいよね!
みたいに‥。なってた、かな。
めーーーーーーっちゃジャッジしてるよね、それ。
ご褒美なのに、全然気が休まらないし、褒められた気がしないし、むしろ値切られてる?値踏みされてる感?
自分で自分の厳しい目に縛られてるよなぁ、これじゃあね。
頑張った分しか褒めちゃダメ!
頑張った分以上のご褒美は、ご褒美じゃない、ただの堕落だ!みたいな気がしてた^^;
『ご褒美』を『ご褒美』だと感じられるまで。
そう多分、自分がご褒美だと、
《私、頑張ったな》って思えるくらい受け取っていいんだろうな。
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心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
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