息子から学ぶこと 〜身の回りのもの〜

 

 

息子が家にいた時、私は常々、息子が服やカバンや靴など、自分の身の回りの物をとてもスマートに使う使い方に憧れているようなところがあった。

息子は服でもカバンでも靴でも、自分が気に入って納得しないと買わない。

そして買うと、その買った数少ない物たちをがっつり着て、使って、楽しんで、その物が傷む頃にはそのシーズン(から次のシーズンくらいまで)が終わっていて、“今まで有難う”と心置きなく服たちに伝えて捨てられてるくらい。

いつも彼自身が好きなものを着ているし、使っていて、すごく似合っているし、また大切に扱っていて、彼の持ち物は多くのものが“生きて”いるように感じてた。

またそんな風にそんなもの達を着てる息子は清々しい存在に感じられた。

 

 

さて私。私にもそれなりに好みはあり、気に入って物を買う。でもその買った服など、すぐには着れない。物理的に着れないとかサイズが入らないなどではなく、手を出せない。着ることに気持ちが抵抗するのだ。

よく服の1軍2軍などと聞くけど、いわゆる2軍の服が捨てられない。捨ててしまうと、もう1軍しかなくなってしまうから。1軍を着るしかなくなる、でも1軍は着づらい‥から。

こんな私じゃ‥

今の私では‥

今の状況では‥

こんな家で‥

って。すごく抵抗する、すごくすごく抵抗を感じる。

 

 

思えば、服(や靴やカバンやいろいろ)を“買ってた時”には幸せや喜びや、買った後の着ている自分を思い浮かべて嬉しさを感じていた。のに。

買って帰ってからは、そうしたいと思えない、そうすることに強い抵抗を感じる。

つまり、買ってる時の気分(感覚)と家に帰ってから、またそれを使う時の気分(感覚)が違うんだなって。

もう少し言うなら、買う時の“こうありたい”という気分と“実際の生活(の中で使う時)の気分”がズレてる、在りたい在り方、在りたい気分でないってことなんじゃないかな。

 

 

なんて感じて、改めて自分が自分にどう感じているか、どう扱っているか、どんな気分で日々過ごしているのか(それが当たり前になっているのか)、それがどれほど『私なんてこんなもんだ』と思っているのか、を感じた。

 

1460日計画、半年が過ぎた10月。

今年5/12のメモ。

 

 

投稿者プロフィール

心理カウンセラー 斎藤朝海
心理カウンセラーで作家の根本裕幸さんのお弟子です。
よろしくお願いします。
詳しいプロフィールはこちら。